2007年になって、装いも新たに始めた「板屋かえでの覚え書き」ですが、書き手のプロフィールなどがない事に気がつきました。今日は、板屋かえでのことを書いてみようと思います。
【生い立ち】
東京都出身ということになっていますが、実際に産まれたのは北海道札幌市の病院です。1971年 3月 8日、札幌市で産声をあげました。誕生の記念に両親が、公園に「板屋楓」の樹を植えてくれました。それが今のハンドルの由来です。
その後、神奈川県相模原市、千葉県野田市、滋賀県大津市など、いろんなところへ転居しました。小学校は計4校、中学校は計2校に通いました。中学生のころ、千葉県野田市に戻り、高校卒業まで過ごしました。そんなわけで、幼なじみと呼べる人がいません。
【病気のこと】
高校3年生の秋、文化祭の準備に忙しかった週の授業中、突然意識を失いました。それが始めての発作です。僕はあまり覚えていないのですが、両親が迎えに来てくれて、帰りの車の中でも発作が起こり、そのまま入院しました。いろんな検査をして、ついた病名が「てんかん」でした。その後、今日に至るまで服薬を続けて、発作をコントロールしています。
【進路のこと】
てんかんを発病して、当時は「建築工学科」に進路を決めていたのですが、現場で発作が起きたら危険、という理由から文系に転向しました。当時、たまたまラジオ放送で勉強していた「中国語」に興味があったので「中国語学科」を受験しましたが、あえなく失敗。浪人生活に突入します。しかし発作のコントロールが出来ず、予備校入学日に発作を起こして、最初からつまずきます。結局、体調もあまり安定せず、予備校にもほとんど行かず、ブラブラと一年を過ごしました。そんな中「大学に行く意味」を考えるようになり、どうせ中国語を学ぶのなら、中国に留学したいと思うようになりました。とはいえ、体調のことや両親の説得もあって、とりあえず二年間は、専門学校で中国語を学ぶことにしました。結果的に、中国へ長期留学することはありませんでしたが、専門学校で過ごした日々は、今も大切な思い出です。
【就職のこと】
病気をもっての就職。当然、簡単なことではありません。危険な高所作業は出来ないですし、深夜に及ぶような仕事も避けた方が良いと言われていました。専門学校を卒業するころには、中国語を使う仕事への就業にはあまり興味がなくて、手に職をつけたいと考えるようになっていました。いろいろと調べました。そこで目についたのが、コピー機のメンテナンスを行なう仕事でした。しかし、落とし穴がありました。運転免許が必要だったのです。当時、発作のコントロールもある程度出来ていましたが、法律ではてんかん患者の運転免許取得を禁じていたのです。しかし、僕はラッキーでした。面接に行った販売店の社長さんに、こう言われました。「来年からコンピューターや周辺機器の販売にも力を入れようと思っている。興味はあるかい?もし興味があるなら、君にその仕事をやって欲しい。」と。専門学校で、中国語の入力などにパソコンを使っていたので、ある程度のことはわかりましたので、もちろん快諾しました。そして、就職。
【営業時代のこと】
時代は、CUIからGUIへと変貌を遂げていく、そんな時でした。PC-98もDOS/V機も、マッキントッシュも売りました。そしてコピーは複合機の時代へ。複合機のデモ、販売もやりました。Windowsが発売されたり、といろんな事を経験していきます。そして、就職6年目に転機が訪れます。ちょうど、パソコンのサポートに対して「プロ意識」が芽生えてきたころでした。しかし、社長は「サービスとは無料のもの」という考えが強く、サービスを販売するつもりはありませんでした。そんな中、とある展示会で、今の会社の存在を知りました。そして、転職。
【サポーターのこと】
転職以前に、Windows 95のMCPを取得していたため、OSに対する理解はある程度ありました。そのおかげで、Windowsのサポートチームに入り、Windows 98のβサポートまで経験させていただきました。そして、1998年末にサポートチームは解散。みなそれぞれに、各部署へ異動しました。僕の異動先は「企業のシステム管理」をアウトソースで請け負う部門でした。ここでサーバー管理の基礎とネットワークに関する基礎を学びました。その後いくつかの部門を転々とし、2000年春に某プロバイダのサポートセンターへ異動。バックサポートを担当させていただき、いろいろと勉強しました。
【病気の悪化】
就職後は比較的安定していた病気も、無理がたたってか悪化していきました。小発作が抑えきれず、会社をお休みすることになりました。その間に、プロバイダのサポートセンターは撤収して、地方センターへ移っていきました。僕は人事部門所属となりました。その後、しばらくの間はお休みが続きます。
【今の仕事のこと】
体調がある程度回復して、復帰する際に選んだ異動先は、現在の情報システム部門です。最初は右も左もわからなかったのですが、トラブル調査などを手伝ううちに、自然といろいろなことが身についていきました。今の会社に入社する以前から、自分投資と銘打って、書籍や機材を買って、勉強をしていたのも幸いしました。今年度はサーバーリプレースやさまざまな検証、バックサポートを任されています。
駆け足でしたが、何となく理解していただけたでしょうか。機会を作って、プロフィールとしてまとめます。
次回予告:ライフハックのこと or きもののこと or てんかんのこと
